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OSSAN IS ALIVE vol.2 出演者インタビューその4「ハバネロ炒飯」

凄腕セッション集団「りはびり~ず」を、団長として取りまとめる「ハバネロ炒飯」さん。
抜群のドラム技術にへの評価はもちろん、人懐っこい笑顔と明るいキャラクターは、ライブでも大人気。
ひときわ大きな声援を受けています。

そんな「ハバネロ炒飯さん」。
いったいどんな音楽を聴いて育ってきたのか。そしてドラムを始めたきっかけとは?

OSSAN IS ALIVE vol.2 出演者インタビュー「BAR おっさんの巣」
第4回目は、「りはびり~ず」のリーダー&ドラマーの「ハバネロ炒飯」さんです。


☆ハバネロ炒飯
197●年 生まれ


○音楽との出会い

お袋が、松山千春さんとかさだまさしさんが大好きだったんですよ。
物心つく前の2・3歳の頃には、ヘッドホンを付けさせられて、そういった音楽を聞かされていたんですよね。
いまだに「案山子」とか聞くと自然に泣けてくる位、幼心に染み込んでいるという感じです。

「聞かされてた」って言っても、嫌々聞いていたわけではないんですけどね。
嬉しそうにヘッドホンをつけてる小さい頃の写真とかありますし、さだまさしさんのテープも切れるまで聞き込んでいました。曲を聴いて意味がわからない言葉とか出てきたら、「これはどいういう意味?」って質問したり。
そのおかげでオレは「檸檬」という漢字を、いち早く読める子供になったんです(笑)。
松山千春さんにしても、「長い夜」よりも「恋」のほうがグッと来るという。何だか妙に渋い幼少時代でしたね。

○初めて買ったレコード

まず初めて買ってもらったレコードが、志村けんさんの「ウンジャラゲ」
当時『志村けんのだいじょうぶだあ』という番組が大好きで、この曲を買ってもらってから毎日聞いてましたね。
もちろん踊りも覚えました(笑)。

初めて自分でお金を出してCDを買ったのは、小学校の時。工藤静香さんの「慟哭」という曲のシングルでしたね。
当時、「工藤静香さんって、何かフニャーって感じの人」というイメージだったんですよ。
もともとアイドルだし、声も特徴的だったし、モノマネされるときもやっぱりそんな感じでしたよね。

でも、ちょうど見ていたテレビ番組で「慟哭」を歌っていたんですが、まずそのロックな歌い方をしている工藤静香さんが「カッコいい!」って思ったんです。曲のリズムとかギターの音も子供心にガツンときて、それでCDを買ったんです。

○ドラムを始めたきっかけ

ドラムを始めたのは、11歳の時。結構早かったんですよ。
小学校高学年の時って、どこかのクラブに入らなきゃいけない決まりがあったんですけど、その時、特に入りたいクラブがなかったんです。んで、迷っていたら友人が「音楽クラブに入ろうよ」って誘ってきて。

実は、音楽の授業とか当時は大嫌いだったんですけどね。4分音符さえ理解出来て無かったし。
でもまあ『友達に誘われたし、入りたいクラブもないし』って事で、なんとなく音楽クラブに入ったんです。
学校にはYAMAHAの真っ赤なドラムセットがあったんですけど、その時は「なんだこれ、変な楽器~」って思っただけでした(笑)。

そして更に、オレを音楽クラブに誘った友人が、実はドラムスクールに通ってたんです。
その友人が今度は「ドラムスクールに一緒に通おうよ」って。

ところが、これにはウチの親父が大反対でした。
「小学生がドラムだと!?10年早い!!」って感じで(笑)。
それで、三日三晩説得してようやく見学だけでもいかせてもらうことが出来たんですね。

それで、実際にドラムスクールに見学に行ったら、これがまぁ、厳しいんですよ。
ドラム・・・っていうか、そのスクールだけかも知れないですけど、当時は結構体育会系な世界だったんですね。
子供ながらに『厳しいところだな~』とも思ったんですが。
でも、ロックな格好をしたお兄ちゃんたちが必死に叩いている姿を見て、「すげえカッコいい!」って思ったんです。

そんな、興奮してレッスンを見てるオレに、「ちょっと触ってみるか?」って先生が声をかけてくれて。
で、人生で初めてドラムを触ったんですけど、これがまた楽しくて。
その時、先生に言われた言葉は・・・
「ドラムは音階が無いから、譜面がなくても出来る楽器だ」って。
「それに叩く面積もでかい!」
とも言われましたね(笑)。
今考えると、ガキに対する「励まし」だったんでしょうけれどね。

小さい頃に、ピアノを少しだけやらされていた事があったんですけど、楽譜も読めないし、あまり自分にとっては楽しくはなかったんです。ですから、楽器をやって「楽しい」っていう感覚自体が新鮮でしたね。

その後、親父を説得して・・・最終的には「そこまで言うんならやってみろ」と、お許しを貰いました。
まあ、「中学まで」という期限がついていたハズなんですけどね(笑)。
そんなこんなで、ドラムスクールに入校しました。

ちなみにオレが入校した翌週に、オレを誘った友達は辞めました(笑)。
誘う側の人間って、えてしてそんな風に先に辞めていきますよね。

その後は、ドラムの練習に打ち込んでいったんですけど。全然上達しませんでして。
きっと、センス無かったんでしょうね(笑)。

ある時、小学校で音楽の合奏の授業がありまして。
「ガンダム」を叩かせてもらったことがあったんですけど、全然叩けなかったものですから、「お前、ドラム習ってるくせにヘタクソじゃねーか!」って、友達に罵倒された事もあったりして(笑)。
それが悔しくって、凄く練習をする様になりましたね。
で、数年後に、初めて通して叩けた曲はDreams Come Trueの「eyes to me」
「自分にも1曲通して叩けた!」って感動しましたね。良い思い出です。
それで、Dreams Come Trueの「The Swinging Star」というアルバムを買いました。
これがはじめて買ったアルバムですね。


○初めてのドラムセット

中学2~3年にもなると、「バンドやりてぇな」って奴がたくさん出てきて。
オレも、幼馴染み4人とバンドを組みました。 
お小遣いもそんなに多くないですから、みんなでお金を出し合っても月に1回ぐらいしかスタジオ練習に入れないんですよね。
なので、普段は誰かの実家に集まって練習するんだけど、他のパートは小さいアンプとか持ってきてギターやベース弾いているのに、オレだけ叩くものが無くて、座布団叩いてました(笑)。

子供ながらに「こんな惨めなのは嫌だ!!」って思って、親に土下座してドラムセットを買ってもらいました。
ちょうど当時「BOOWY」にハマってたんですけど。そのBOOWYのドラマーであり、オレの尊敬する『Mr.8beat』こと高橋まことさんの使っていた要塞みたいなドラムセットを買ってもらいました。
で、それ以降、バンド練習はオレの実家でやるっていう形になったんです。ドラムの持ち運びは、不可能ですからね。
当時は、ツーバス使いだった記憶があります。今は、シングルですけれどね。


○中学・高校時代に聞いていた音楽

中学~高校の時にハマっていたのが「BOOWY」。バンドでもBOOWYの曲を、とにかく練習していましたね。

オレは特に布袋さんが大好きで、布袋さんの音楽が大好きなんです。
今でも、ライブの2日ぐらい前になると、布袋さんの武道館ライブのDVDを見てテンションを上げてます
特に「GUITARHYTHM」シリーズは大好き。その中でも「Ⅲ」は、大好物のアルバムです。
「GUITARHYTHM Ⅲ」のライブアルバム&ビデオは、オレにとってライブの立ち回りとか演出の教科書みたいなものですね。余談ですが、布袋さんの例のステップについては誰にも負けない自信があります(笑)
あれ、オレってドラマーだよなぁ?まぁ、いいか(笑)

そんなこんなで、青春時代に主に何を聞いていたかと聞かれると「主にBOOWYを聴いていました」っていう感じなんですけど(笑).ただ、当時流行っていた洋楽からも大きな影響を受けています。「Mr.BIG」とかね。

高校3年~大学の間に、「ドラムは辞めよう」って決意して、フラフラしてた時期があったんですよ。
練習なんかも、週に2分とか(笑)。もう、惰性でドラム続けてる時期でした。
そんな時に、兄弟子にたまたま会って「たまには遊びにこいよ!」っと誘ってもらったんですよ。

で、その時に初めて知ったのが「TOTO」というバンドですね。
ただ、当時はDave Weckl氏やVinnie Colaiuta氏やDennis Chambers氏といったテクニカルドラマーを聴き始めていた時期だったんです。聴いてるだけで、コピーはしませんでしたが(笑)。
だから、初めて聞いたときは「地味なドラム」って思ってしまって(笑)うん・・・ごめんなさい。

その当時、「これならオレでもコピーできるだろう」と思って、舐めてコピーに取り掛かり始めたんです。
ところがこれが、どんなに叩いても、ちゃんとコピーできないんですよ!
何度叩いても、何かが違う。
それで、何度も聞き込んでいるうちに、「これはやべぇ!」と気づき始めたんです。
単純なビートでも叩き方や音が全然違う。
「ノリってこういうことなのか!」って。
初めて「グルーヴィーなドラミング」というものを考えさせてもらったのが、「TOTO」であり、ドラマーのJeff Porcaro氏ですね。

その後Jeff Porcaro氏の教則ビデオを買ったんですけど、これがまぁ、たった30分のビデオなのに目からウロコっていう話ばっかりで。同じテープを2本買ったんですけど、1本はシャッフルの所を見過ぎてテープ切っちゃったんですよね。
オレにとっては、ドラム人生を変えたビデオです。最終的には、テレビに向かって土下座しましたよね(笑)

それ以来、またドラムが楽しくなって。
以降はAORとかラテン音楽とかも聴きつつ、気付いたら30過ぎの今日までドラムを叩いてるって訳です。
っつーか、大学の時とか・・・もっと練習していれば、もっと上手くなっていただろうにという後悔もありますね。


○OSSAN IS ALIVEに向けて

なにせ、今のライブって若者が中心じゃないですか。
年を重ねてくると、ライブに行くこと自体が億劫になってきちゃったりすると思うんですよね。
だから、まずは同い年位の世代からオレらより上の世代まで、「行きたい・見たい」って思って頂けるライブに出来たら良いな~と思います。

それと、ただ「演奏する」とか、ただ「聞く」って言うだけじゃなくて、みんなが「参加する」ライブにしたいなと思います。みんなで、良い空気を作っていきたいなと。

また、オレは例によって会場でウロウロしていると思います。
気軽に声をかけて頂いて、一緒にお話などを楽しめたらいいなって思いますね。
ライブ会場で、是非オレを見つけて下さいね☆
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OSSAN IS ALIVE vol.2 出演者インタビューその3「疲れた男」

替え歌やモノマネ、さらには実写まで取り入れ、エンターテイメント感とサービス精神あふれる「歌ってみた」動画を投稿する「疲れた男」。動画のネタだけでなく、数々のステージで見せるステージさばき、フットワークの軽さや食に対する偏愛など、その人柄間で含めて、見事なまでに「いいオッサン」。

OSSAN IS ALIVE vol.2 出演者インタビュー「BAR おっさんの巣」
第3回目は「鷲掴みキャトルミューティレーションズ」のボーカル「疲れた男」さん。
これまでの軌跡と「OSSAN IS ALIVE」に対する意気込みを伺いました。


☆疲れた男
北海道出身・1977年 生まれ


○もっとも古い音楽の記憶

はっきりとこの曲を聴いて、というのはないんですが、覚えている歌の中で一番古いものは「ドラえもんの絵描き歌」ですね。

多分僕が口ずさんでいて、それで親がレコードを買ってきたんだと思うんですけど。
物心ついた時にはすでにLPが家にあって、それを繰り返し聴いていました。
その曲を聴きたいがためにレコードの操作方法を覚えて、演歌ですとか、家にあるレコードを聴きまくっていましたね。わざと回転速度を落として変な声にしたりして遊んでいました。

で、その後アニソンの入ったテープを買ってもらったんです。
「クリーミーマミ」とか「ヤットデタマン」とか「キン肉マン」とか入ってるやつ。
今はどうか知らないんですが、当時のその手のアニソンのテープって、テレビのバージョンとは別の人が歌っていることが多かったんですよ。で、「なんか声違うよなあ・・・」と思いながらも、そのテープ大のお気に入りでしたね。
最終的にはテープの磁性体が全部とれてしまうほど、文字通り「擦り切れるまで」そのテープを聴いていました。

小5の時に「やっぱりテレビで流れている声でアニソンを聴きたい」と思って、家にあったレコーダーをテレビのスピーカーに近づけて、アニメの主題歌を録音しました。月曜日から日曜日まで、当時自分が見ていたアニメの主題歌は全部録音しましたね。ラベルに全曲タイトルを書いたりと、かなりの力作のテープでした。
しかも僕は、それを夏休みの自由研究の課題として提出したんですよ(笑)。
手の込んだ工作とか並んでいる中、僕だけアニソン満載のカセットテープということで、異彩を放っていましたね。

ちなみにそのテープは、放送部の目にかかって昼休みの校内放送でよく流れていました。
ただ、その放送部の連中が、何を間違ったのか「光GENJI」の曲を上書きされてしまって(笑)。結局幻のテープになってしまいましたね。

他にも、「アルフィー」とか「甲斐バンド」とか「チャゲ&飛鳥」などの邦楽も、母親の影響でよく聴いていました。
よく聴いていましたし、よく歌っている子でしたね。
母親が歌が大好きなもので、自然と自分も歌うことが大好きになったという感じです。


○マンガ・アニメ大好き

実家が飲食店を経営していた関係で、自宅にはいつもジャンプの最新号がある環境でした。ですから、物心ついた時にはすっかりジャンプっ子でしたね。

初めて買ったのは「魔動王グランゾート」の主題歌のCD。はまりだしたのはその前の「魔神英雄伝ワタル」をみて、アニメにハマりだしました。本屋さんに行ったら「魔神英雄伝ワタル」の登場人物である「ヒミコ」が表紙の「アニメディア」を発見して、それから高卒までずっとアニメディアを買い続けましたね。確か、最初に買ったのは小4の4月号だったと思います。

お小遣いもそれほど多くはなかったですから、お年玉から少しずつ切り崩してプラモとかOVAとか買っていました。
とにかく自分の自由になるお金はすべてアニメに費やす、という感じで(笑)。

小学校の時はそれでも、周りもみんなアニメ好きで、クラスでもそんな話題ばかりでしたから、割とオープンなアニメ好きという感じだったんですけどね。ただ、中学入ったあたりから「ここまでのめり込んでいる人、周りにいないぞ・・・」ということになんとなく気がつき始めて。
なので、表立っては邦楽のほうにシフトしていきましたね。「尾崎豊」とか「CHAGE&ASKA」とか。
ただ、その裏ではずっとアニメ好きという感じだったんですけどね(笑)。

○カラオケボックスに通った中学生時代

カラオケに通い始めたのが中2の時でした。
8トラのカラオケセットはあったんですけど、CDカラオケというのが出始めた頃で。

当時のカラオケボックスというと、駐車場みたいな所にプレハブ小屋が何棟かあるっていうタイプのものが多かったですよね。
で、学校の近くにカラオケボックスができたのが中2の時。カラオケボックスができ始めのころで、町に1個しかないっていうぐらいの時期でしたから、そういう風に近くに歌えるところがあるというのはラッキーでした。

当時は「1部屋1時間いくら」っていう感じでしたから、友達7・8人で連れ立っていくとひとり100円とかで歌えるわけです。だから週5回は友達とカラオケに行っていました。カラオケでしか会わない友達とかもいましたね。
ちなみにカラオケではじめて歌った曲は「聖闘士星矢」のオープニング「ソルジャードリーム」でした。

○初ステージから現在まで

もともと人前に出ることは好きなほうで、一時期はエキストラの事務所に入っていたこともありました。
初めてステージに立ったのは高2の時の学園祭ですね。
アコギができる友人と一緒にステージに立って「アリス」の「チャンピオン」を歌いました。学園祭のそういったステージって、いろいろな賞があるんですけど大体3年生がもらっていたんです。でもその時は、2年生ながら「生徒会長賞」をもらって。それで、「あいつら何だ!」みたいになりましたね(笑)。

その後も、内輪のイベントでステージに出る機会もあったので、こと「人前に出る」ということに関して、いまでもそれほど抵抗はありません。

ニコニコ動画にアップロードをし始めたのは、もともとは「組曲」がきっかけですね。
それがカラオケに入っていなかったものですから、「よし、じゃあ歌ってアップロードしよう」ということで動画を作りました。
この姿勢は今でも変わってません。
あくまでカラオケの延長という感じで、家でひとりで歌っても聴いてくれる人がいない、だから投稿する、という。
それに、なにより歌っている人たちが「楽しそうだった」というのが、自分も動画を投稿しようと思った一番のきっかけでした。

ですから「NicoNico SummerLive(笑)2008」に参加させてもらったのは、我ながら「何で?」という感じでした。
ちょうど「人前にでるのももういいかなあ」と思い始めていた時期のことだったんですが、それ以降色々なイベントに参加させてもらう機会が増えて。関わった多くの人にとってそうですが、自分としてもひとつの大きな転換点になったと思います。

○OSSAN IS ALIVE に向けて

もともとただのカラオケ好きですから、「上手く歌おう」という風にはおもってなくて、ただその場その場で「楽しんでもらおう」「面白くしよう」ということが、自分にとっては一番大事なことです。

ですが、こと「OSSAN IS ALIVE」に関して言えば、「誰よりも俺が楽しい!」ということを前面に出して行きたいですね。
僕らが本当に心から楽しんでいる姿を見てほしいと。その姿を見て楽しんでもらえれば、それが本望かなと思います。
「俺が絶頂に達するように、みんな手伝ってね!」ということで、当日はよろしくお願いします(笑)!

OSSAN IS ALIVE vol.2 出演者インタビューその2「たっちゃん」


体の芯にズシンと来る、安定感あるサウンドを奏でるベーシスト・たっちゃん。
ニコニコ動画ではごく初期から活躍し、数々のコラボレーション動画に参加しバンドサウンドの核として活躍中。
私生活では一時のパパとして親バカぶりを発揮する、名実ともに「いいおっさん」です。

OSSAN IS ALIVE vol.2 出演者インタビュー「BAR おっさんの巣」
第2回目はW-ASANOのべーすを担当するたっちゃんに、その少年時代から「OSSAN IS ALIVE」への意気込みを伺いました。

☆たっちゃん
東京都出身 197○年生まれ

○音楽の目覚め

「この曲を聴いて音楽に目覚めた!」っていうのは記憶がないんですが、小さいころからいろんなアニソンを聴いてましたね。
ウチにはカセットテープレコーダーがあって、それをテレビのスピーカーの前において、いろんな曲を録音して聞いてたんすよ。小学生のころ好きだったのは『蒼き流星 STPレイズナー』の「メロスのように」とか『トランスフォーマー』の主題歌などですね。

ウチの母親が昔話を朗読してカセットに録音してたんですけど、俺はそのテープに上書きして録音してたんです。
で、曲と曲がつながるのが嫌だったから、ちょっと間を空けて録音してたんすね。
なので、そのアニソンのテープを聴いてると、曲が終わったら「むかしむかし~」とか入って、で、その後に「聖闘士星矢」とかのアツい前奏が「ジャラララーン」って始まるっていう、ちょっと不思議なテープに仕上がってました(笑)。

○初めて買ったカセット

初めて買ったカセットテープって、意外なことにクラシックなんです。
カール・リヒターが演奏しているバッハの「トッカータとフーガ」。これがはじめて買ったカセットっすね。

買ったのは小学校6年生のときなんすけど、その時、「学校に電子オルガンが入る」という、ちょっとした一大イベントがあったんですよ。ヤマハの先生が来校して、みんなの前でその電子オルガンの演奏を披露したんです。
そのときに演奏したのが、ファミコン風にアレンジした「トッカータとフーガ」。そこから『スーパーマリオ』につながるメドレーでした。
それを聴いて「超かっけえ!!」と思って。
で、その「バッハのトッカータとフーガ」という言葉だけ、とにかくメモを取って家に帰ったんです。
それで親父に「バッハのトッカータとフーガを買うから小遣いをくれ!」って言ったんすよ。
そしたら親父は親父で「こいつ、クラシックに目覚めやがった!」と思ったらしくて(笑)。
それで無事にお小遣いをもらって、お店に向かいました。

で、そのお店の店員のおじさんに「バッハのトッカータとフーガをください」って言って。
いろいろな人が演奏しているんですが、「バッハならこの人がいい」っていうことでカール・リヒターが演奏したものを選んでくれたんです。

実際に家に帰って聞いてみたんですけど、まず思ったのは「これ違う!!」っすよね。
でもなんか、こちらにも買ってしまった以上、妙な意地があって(笑)。
「俺がほしかったのはこれだ!」って思い込みながら、そのテープを聴いてました。

そんなわけで、はからずも初めて買ってしまったのが、カールリヒターの「トッカータとフーガ」。
なんですけど、それを聴いたことはその後の音楽人生にも少なからず影響してますね。クラシックの様式美とか泣きのメロディとか、そういった感覚を抵抗なく、なんとなくわかるようになったのはそのおかげだと思いますね

○中学生のころに聴いていた音楽

そのテープを買うのと前後して、好きになりはじめたのが「TM Network」。
「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」のエンディングだった「Beyond the Time」を聴いて、カッコいいって思って。

それでまた、例のバッハの店に行ったんすよ。「Beyond the Time」が聴きたかったんですが、どのアルバムに入っているかわからなかったので、店員のおじさんに「とにかくTM Networkの一番あたらしいやつください!」っていったんです。
それで買ったのが「humansystem」というアルバム。

実はそのとき、まだ「Beyond the Time」ってアルバムに入ってなかったんすよね(※アルバム初収録は「CAROL」)
ですからまた家に帰って、聴いて「これは違う!」って(笑)
で、また意地を張って聞き続けてたんですけど、これがまたすごくカッコよくて。
それからTMのファンっていうか、打ち込みの音楽が好きになりはじめたんです。

で、そんなときに、「ザ・トップテン」で、「DEAD OR ARIVE」が「Turn Around And Count 2 Ten 」を演奏しているしているのを見たんです。
これがまた、男の人がスカートをはいて、カメラに股を開きながら歌ってるんですよ。
で、カメラが近づくと閉じる。それをずっと繰り返してて。
「何だこれは!」って、えらいインパクトがありましたね。最初女の人だと思ってたんですけど(笑)。
ビジュアル面でもインパクトあったんですけど、曲もすごくカッコよくて、それからユーロビートを聴き始めて、そこから洋楽をよく聴くようになったんです。

○ベースを始めたきっかけ

中3のころにはユーロビートだけでなくて、メタルや洋楽など結構幅広く聴くようになっていました。
そんななかやっぱり強く惹きこまれたのはですね。
「紅」や「WEEKEND」は特にカッコよくて、当時よく口ずさんでいたフレーズがあったんですよ。
それが実際なんの楽器なのかはよく分かってなくて(笑)。
でも色々な音楽を聴いていて、自分の耳に一番よく残っているのはベースのフレーズだって気づいたんです。
それで「ベースやりたいなあ」って漠然と思うようになって。

そのぐらいの頃って、妄想力もまっさかりじゃないっすか。それで、「ステージでベースを弾いている自分」という妄想が突き抜けていって、楽器やりたいゲージがグングン上がっていったんですよ。
で、同じようにゲージが上がってベースを買ったけど、すぐにやめた友達がいたんですね。
その友達からGRECOの白のPJを格安で譲り受けて、ついに念願のベースを入手したんです。
これがはじめて手にしたベースですね。

ただ、ベースの音自体は聞こえていたんですが、いざ自分が弾くってなると何をしていいのかわからなくて。
ですから、最初のころはひたすらベースでボーカルのメロディを弾いていたんすよ(笑)。

はじめてバンドを組んだのもちょうどそのころ。中学の時の友達と組んだバンドがはじめてですね。
ステージに立つとかってことはなくて、公民館のスタジオを借りて、みんなで集まって音を出すって感じでした。

初めて公民館以外のスタジオに行ったときは緊張しましたよ。
当時僕らは「ビジュアル系の人は普段からああいう格好をしているんだ」と思い込んでいたんです。
ですからそのスタジオには、全員ビジュアル系ファッションのフル装備で臨んだんですよね(笑)。
今思い出してもゾッとしますけど、当時はいたって真剣にそう思い込んでいました。

ちなみにそのビジュアル系の服を買いにいった時に出会ったのがDream Theaterですね。「Images And Words」をジャケ買いしました。
当時は変拍子とかわからなくて、はじめて聴いた時は「何だこいつら、リズム取れてねえ!」とか思ったんすけど(笑)。
でもそれは耳が慣れていなかっただけで、2回目に聴いた時には「すげえ、かっけえ!」って思いました。
それ以来DREAM THEATERは大好きなバンドです。

○「ダメ系」の創生期に参加

もともとプロを目指していたわけではないですから、オリジナルバンドで活動していた時期もあったけど、最終的に楽しんでやれる「アニソンのコピバン」をやり始めたんですね。
オリジナルバンドをやっていた時は2・3年ベースから離れていたんですが、この時にまたベースに戻りました。
このあたりでようやくベースの面白さがわかった、という感じですね。

当時はmixiなどといった便利なものがない時代。
それどころか「インターネットって言う便利なものがあるらしいよ」っていうような時代だったんですけどね。

今はなくなってしまったんですが「アニソンやろうぜ」というサイトがあって、そこで同じくアニソンが好きな奏者さんの輪が広がっていきました。で、次第にライブがよく開催されるようになったんですね。
はじめはやる人も見る人も少なかったんですけど、徐々にそういった「アニソンのコピバン」というスタイルが定着していって。
そういった動きが今の「ダメ系」につながっているんです。

俺自身もそういった動きの中でバンドを組みながら、ずっとステージに立ち続けています。

○OSSAN IS ALIVEに向けて

まずこれほど選曲の楽しいライブはないですよね。
選曲をするのにいちいち自分の人生を振り返りますし、振り返ったらこうやって「あの頃はさあ・・・」ていう話ができる。
そんなおっさんの昔語りができるライブとして、楽しみにしています。
なにせ今回のバンド名である「W浅野」についても、20年ぐらい前にW浅野を見ていた自分としては「まさか自分が名乗ることになるとは」って言う感じ(笑)

もちろん僕はオッサンの姿でステージに立つんですけど、当日ステージに立つのは、今の俺であって俺でないっていうか。「心は20年前だからね!」っていいたいっすね(笑)。

OSSAN IS ALIVE vol.2 出演者インタビューその1「鬼弦曹」

安定した刻みとパワフルなサウンド。
全身からほとばしる「気合」で見るものを圧倒するスパルタンなプレイスタイルが身上。
力と技を兼ね備え、特に奏者からの高い信頼と尊敬を集めているのが「鬼弦曹」。

いったいどんな音楽を食ったらそういう風になるんでしょう。
OSSAN IS ALIVE vol.2 出演者インタビュー「BAR おっさんの巣」

第1回目はW-ASANOのギターを担当する鬼弦曹です。

★鬼弦曹(おにげんそう)
千葉県出身・1978年12月14日生

○音楽との出会いは?

初めて「音楽」を意識して聞いたのは、小学校3・4年のときですね。当時、『ファイナルファンタジー2』をやっていて、ボス戦の音楽を聞いて「なんだろうこれ!かっこいい!」と思ったんです。その「かっこいい音楽」が聞きたくて、同じところばっか何回もやってたんですよね。ボス戦が始まっても戦わないでずーっと音楽だけ聴いてるっていう子でした。

それ以来ゲーム音楽を聴くのが大好きだったんですけど、その後親父と喧嘩をしてファミコンをぶっ壊されてしまったんです。
その理由っていうのが「ジュースを缶でそのまま飲んだから」。すごく下らないですよね(笑)。
で、俺も下らない!っておもって、コップに缶をガーンって叩きつけたんですよ。
そしたら親父がキレちゃって。「こんなもんやってるから行儀がわるくなるんだー!!」つって。
しばらくしたら庭のほうから「パキッ・・・パキッ・・・」っていう、プラスチックの割れる音がしてきましたね。あのときの音は今でも耳に残ってます。トラウマです。

そんな風に、しつけは結構厳しい家だったと思います。だから、今でもお米は最後の一粒までちゃんと食べますよ。

で、その後ファミコンがなくて「かっこいい音楽」が聞けなかったものだから、友達の家を巡ってはゲームの音楽を聞かせてもらうようになったんですよ。
「FF4買ったの?聞かせて!」つって。「やらせて!」じゃないんですよね(笑)。
最低1ループは聞きたいから「今町からでるんじゃねえ!!」とか言ったりしていました。
友達の家で聴いた音楽を必死で覚えて、家ではひたすら脳内再生です。
このあたりが俺にとって「耳コピ」の原点だった気がしないでもないですね。

○初めて買ったCD

上の兄弟がいると音楽を聴き始めるのって早かったりするんですが、俺は一人っ子でしたから、音楽を聴き始めたのって結構遅かったんです。クラスの友達が「いいよね!」とか盛り上がっている時に、一応「うんうん」ってうなずいてるんですけど、実は知らないっていう。

そんな小学校6年のとき、クラスではやっていたのがブルーハーツ。
スクーターのCMの曲で『リンダリンダ』が流れていて、クラスでも人気だったんですけど、俺はCDを持っていなかったんです。だから、「リンダリンダという曲名とサビ」以外は知らなくて、話についていけなかったんですよね。
それでいい加減ごまかすのも嫌だ!と思って、お年玉をはたいて、CDラジカセと一緒にブルーハーツの『THE BLUE HARTS』というアルバムを買いました。これが俺にとって初めて買ったCDです。

電気屋さんで上がパカッて開くタイプのSONYのCDラジカセを買って、一緒に「リンダリンダが入っているCDをください!!」ってお願いしたんですけどね。それだけじゃわかんねえだろ!って思うんですけど(笑)。
「一応探しとくよ」って言ってくれたんですけど、電気屋さんも戸惑ってましたね。無事に入手できてよかったです。

結局そのCDラジカセは高校卒業まで使いました。
ブルーハーツとかXの「俺ベスト」のカセットを作ってましたね。「俺がライブでやるならこれだろ!」っていうの。
レタリングシールは使わないで、ボールペンを使って「俺フォント」で台紙にインデックスを書いてました。
最後は上のパカッて開く部分がしまらなくなっちゃって。
辞書とかで押さえてたんですけど、さすがにもう限界ってことで泣く泣く手放しました。

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▲これが鬼弦曹の「俺フォント」
「これがずらっと並ぶと結構みっちりしてて迫力あるんですよね」

○Xとの出会い

今でも大好きな「X」。出会いは中学1年のときですね。同世代のXファンと比べるとちょっと遅いほうだと思います。

文化祭の準備をしている時に、クラスの女の子が「音楽かけようよ!」って言って、流れたのがXの『紅』。そのときに雷が落ちたんです。
サビのハイトーンとか、静かに始まって激しく盛り上がる曲調とか、とにかく「なんだこれ、かっけえ!!」と思って。
それでXの『BLUE BLOOD』を買って、家で聞きまくりました。それ以来、自他共に認めるXバカです。

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▲初めて買った「THE BLUE HARTS」と、Xバカになるきっかけを作った「BLUE BLOOD」

○ギターとの出会い

初めてちゃんとしたギターを買ったのは高校1年のとき。
これまたお年玉をはたいて、「Target by Fernandes」のHIDEモデルのギターを入手しました。

俺は「バンドやろうぜ」とか「GIGS」とか読んでいたんですが、俺にとっては、これ、ちょっとうまいこと言っちゃいますけど「ストラトタイプはステレオタイプ」と思っていたところがあって(笑)。色々なギターが並んでいる中で、いわゆる普通の形じゃないっていうところと、何よりもHIDEモデルというところにあこがれてこのモデルを選びました。

当時、俺らにとっては「Fernandes」って憧れだったんですよ。Xとか布袋とかみんな「Fernandes」のギターを使ってたし。
だから「Fernandesよりも良いギターなんて存在しない」とか思ってましたよね。

実は最初に手にしたのは家でホコリをかぶっていたギターだったんですが、これが、クラシックギターにスチール弦を張っているっていう無茶なシロモノだったんです。だから、本物のギターを弾いた最初の感想は「なんだこれ、弾きやすい!」でした。

初めて買ったスコアはhideの「HIDE YOUR FACE」。
はじめはXの「Jealousy」のスコアを買おうと思ってたんですが、オビに「演れるもんなら演ってみろ!」と書いてあって。黙って棚に戻しましたね(笑)。

○ギター漬けの青春時代

中学のときにバスケをやっていたんですけど、今でもそうなんですが、たとえばNBAなんて日本人の手の届かない世界だったんですよね。でもギターで世界で活躍している人はいるじゃないですか。だから「ギターなら努力しだいで世界で勝負できる!」とか思って。それで、ギターを手に入れてからはひたすら練習・練習です。

それこそ家に帰ってきてから夜12時ぐらいに寝るまでひたすらギターを弾いてましたし、休みの日は12時間とか弾いてましたね。同級生とのカラオケとか旅行とかも全部断ってました。「ギター持って行っちゃダメなの?じゃあ行かない!」って(笑)。
だから修学旅行とか大変でした。禁断症状が出掛かりましたよ。移動中もずっと左腕を指で押さえて運指の練習とかしてました。

初めてステージに立ったのは高校卒業した後です。高校生のときってバンドとか組んでいなかったんですよ。
学園祭にバンドで出るような子って、クラスの人気者みたいな人が多かったんですよね。
俺はクラスでも端っこのほうにいる子だったので、学園祭とかは歯軋りしながら見てましたね。
だから、いまだに高校時代までの知り合いって、俺がギターをやっていると言ってもピンとこないみたいです。高校時代の先生もビックリしてましたね。

その初めてのステージでは「JUDY AND MARY」のコピーをやりました。
前回の「OSSAN IS ALIVE」で『そばかす』をやったんですけど、懐かしいっていう以上に、当時はごまかしごまかし弾いていたフレーズが弾けるようになっていて、「自分も成長したんだなー」って感慨深いものがありました。

その後、大学では軽音楽部に入りました。そこではひたすらメタル・メタルで、メタルばっかやっていましたね。
途中で辞めてしまったんですが、そのときの知り合いからの紹介で、今のギターの師匠と出会ったんです。


○師匠の教えとギターについて

23・4の時に今の師匠と出会ったんですが、その師匠というのが一言で表すと「変わり者」って言う人で。
でも言っていることは本当に的を射ているんですよ。

はじめに教えてもらったのは「とにかく思いっきり弾いてみろ!」ということ。
ずっと一人で練習して運指とかピッキングとか「上手に弾こう」としてたんですけど、いきなりそれを全否定ですよ。
でも師匠いわく「メタルとかロックとか『アツい音楽』を弾くのに、運指とかピッキングなんて小さいことにこだわるな!」って。
それで、実際に俺が「これは無理だろう」と思ってるフレーズを簡単にカッコ良く弾いちゃうんですよね。
だからもう、それまでの価値観を全部ぶっ壊されましたね。斜に構えて「まあ話でもきいてやっか」みたいな感じで行ったんですけどね(笑)。

それまでって、すごいテクニックとか難しい曲とか、そういうのに価値があるって思っていたんです。
でも「それって自分にできないからカッコいいって思ってるだけじゃないの?」って師匠に言われて。
確かに、自分が本当に「カッコいい」って思うものって、そんなに難しいことをしているわけじゃないものが多いんですよ。

たとえば「X」にしたって、ちゃんと練習したら意外と簡単に弾けてしまうんです。でも「カッコいい」んですよね。
逆に、どんなに技術的にすごいことをしていて、「カッコいいなあ」と思っていても、ちゃんと「でもそれって本当にカッコいいのかな?」って考えてみると、自分が思うカッコよさとはちがってたり、退屈だったりすることもあるんです。
そんな風に、ただ憧れるだけじゃなくて、本当に「自分がやりたい、やってみたい」と思えるかどうか「考える」ことも師匠から学びました。

全力で、全身で弾くっていうスタイルは、そんな師匠の「ギターは気だ!」という教えによるもの。
よく「疲れないの?」とか聞かれるんですけど、そりゃー疲れますよ(笑)。
「力んでるよね」といわれたら、「そりゃ力むよ!」と思います。
だってメタルとかロックって、もともと怒りとかなんとかアツさを表現するジャンルだと思うし、小手先のテクじゃなくて、全身で気合を入れて演奏しないとカッコよくないないと思うんです。それに、ドラマーさんなんてもっと大変なことになっているんだから(笑)。全力でやるのに、手加減も手抜きもできないと思うんですよね。

昔って結構、自分に対する厳しさを同じぐらい人に対しても求めてしまうことが多かったんですけどね。
スタジオで確認とかしている人を見ると「家でちゃんと練習してくれば?」とか言っちゃうこともあったんですけど。
でも「そういう風に言われちゃうと楽しくなくなっちゃうし、楽しくなくなったらやらなくなっちゃうだろ?」って師匠に言われたんですよね。
それで、「やっぱり音楽だからみんなで楽しまなくちゃ」って思えるようになったんです。

師匠は、技術面だけではなくて人間性の部分を育ててくれたなあって思います。


○おっさんライブに向けて

最近夜通し遊ぶのがいよいよキツくなってきて、自分もおっさんだなあと思うことが多くなってきましたね。
生活も変化していきますし、普通の会社員として、やらなきゃいけないこととか責任もそれなりに多くなってきています。
でも、音楽はずーっと続けていきたいと思ってます。
「こうしたい」とか「こうあるべき」とかじゃなくて、その時その時で「俺が弾きたい曲を弾く」っていうことをずっと楽しんでいきたいですね。

だからおっさんライブも「誰よりも自分が楽しむ」っていうのが第一の目標です。
「いいだろ~、楽しそうだろ~」って感じで(笑)。
それを見て「俺もやりたい!」とか思ってくれたら本当に嬉しいと思いますね。
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